ぼくのあしあと

ゲームやネット小説など、日々興味や関心をもったことを綴る

なぜ正直者が馬鹿を見るのか?そんなものは当たり前だ!

      2015/11/29

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正直者が馬鹿を見る。この言葉を実感したことがある人は多いだろう。

「俺のほうが一生懸命頑張って取り組んだのに、どうして大して何もしていないあいつのほうが評価されているんだ!」

「この世の中は間違っている!ずる賢い人ばかりが優遇されている。」

その憤りは正しい。しかし現実として正直者が得をする場面なんてものはあまりない。

どうしてなのだろうか?

「正直者が馬鹿を見る」とは

辞書によると、「正直者が馬鹿を見る」とは次のようなことを言うそうだ。

悪賢い者がずるく立ち回って得をするのに反し、正直な者はかえってひどい目にあう。正直者が損をする。

デジタル大辞泉

身近な例で考えてみると、

「学校のテストで、カンニングをした人のほうが成績がよい」

「いじめを止めようとしたら逆にいじめられる」

「ある仕事を一緒にやって、一生懸命やった人と手を抜いた人で同じ評価をされる」

挙げるときりがない。今はそれだけ正直者が馬鹿を見る世の中となっているというわけだ。

「正直に生きているといいことがある」なんて言葉もあるが、そんなものは慰めにもならない。

思い出してみてほしい、正直に生きて得をした場面の数と、損をした場面の数、どちらのほうが多いのか。

現実として損をしていることのほうが圧倒的に多いだろう。

「そんなのはおかしい!」ということは誰しもわかっている。しかし所詮それは理屈にしか過ぎない。

ずる賢く生きている人から見ればそんなものは負け犬の遠吠えでしかない。

「悔しかったらお前も同じことをすればいい」と彼らはそう嘲笑う。

なぜ正直者が馬鹿を見るのか。そう考えずにはいられない。

なぜ正直者が馬鹿を見るのか?

最初に結論から言おう、「なぜ正直者が馬鹿を見るのか」、それは正直者が馬鹿だからだ。

この結論に対して憤りを感じている人は多いだろう。「何を言っているんだこいつは」と思われているかもしれない。

しかし、心のどこかではそう思っている人も少なくないはずだ。

だって、「正直者が馬鹿を見る」の定義にもそう書かれているではないか。

「悪”賢い”ものが得をする」と。

「悪」とついているが、それがあろうがなかろうが「賢い」ことには違いはない。

そう、彼らは世の中を賢く渡っているからこそ得をしている。ということは相対的に正直者が馬鹿なのだ。

「そんなの言葉遊びだ!悪い時点で賢いとは言わない!」と本当にそう思うか?

弱肉強食という言葉がある。弱いものは強いものの糧としかならない。

動物界では日々を生き残るために壮絶な戦いが毎日繰り広げられている。

その日の餌を手に入れるためにはどんな手段だって使う。その方法が良いか悪いかなど関係ない。

目的のための手段を選ぶ余裕などないのだから。やるか死ぬか。それだけだ。

人間社会だって同じだ。ちょっと知性を持ったからといって動物の一種であることにはなんら変わらない。

それが良いか悪いか以前に、より効率的な手段をとるのは動物の本能からいっても間違っていない。

「やったもん勝ち」という言葉があるように、目的が達成できれば手段なんてどうでもいいのだ。

手段がどうこうなんてものは人間社会が勝手に決めたルールでしかない。

「あれをするのは良くない」、「それは邪道」、どれも強者からみた弱者の遠吠えだ。

今の社会が「正直者が馬鹿を見る」ようになっているのではない。

弱肉強食という言葉があるように、この世の理からして「正直者が馬鹿を見る」のは当然だ。

この世は弱肉強食

この世は弱肉強食

では悪賢く生きるほうが正しいのか

正直者は馬鹿だ。ということは悪賢く生きるほうが正しいのか。

確かに、悪賢く生きるほうが効率的で、動物の本能的には正しいのかもしれない。

しかし、僕たちは人間だ。野生に生きているような動物とは違うことに誇りを持っているはずだ。

「ヒト」には「ヒト」の秩序というものがあり、その中には当然、悪いことをしてはいけないというものも含まれる。

悪いことをしないということで「ヒト」として「尊厳」が保たれるのだ。

悪賢く生きる者は同じ人でも「ヒト」ではない。動物の本能のままに生きる彼らに「ヒト」を語る資格はない。

「尊厳なんていう目に見えないものなんてどうでもいい!」と思われるかもしれない。

確かに尊厳で飯が食えるわけではない。しかし、尊厳を持った生き方はとても美しく、魅力的な人だ。

その魅力があなたに得をもたらす。俗な言い方をすれば、君の性格にひかれて可愛い彼女、かっこいい彼氏ができるかもしれない。

逆に言えば、今の社会が「正直者が馬鹿を見る」世の中だからこそ、正直者がより気高く感じられるのだ。

かつてイギリスの偉大な詩人、アレキサンダー・ポープはこういった。

「正直な人間は神の創造した最も気高い作品である。」

馬鹿で結構。正直に生きよう。

馬鹿で結構。正直に生きよう。

まとめ

正直に生きたから損をした、彼らのように悪賢く生きればよかった、と考えてしまうときがあるかもしれない。

しかし、あなたは正直に生きたことで人として彼らよりも気高く生きているのだ。それによって自分の人生に誇りを持てる。

誇りは自信につながり、その自信は自分を変える。

一見その場では損をしたように思うかもしれないが、長期的な目で見ればより大きなものを手に入れているのだ。

あとがき

柄にもなくこんな記事を書いてしまったのも、すべてはネタ切れが原因です。

ゲーム記事ならいっぱいかけるんだけども、ゲーム記事以外を書こうとすると何を書けばいいかわからない。

そこで、世の中で多くの人が感じているだろう疑問などについて考えてみることにしました。

初めてなのであまりうまくかけた自信はありませんが、言いたいことは言えたと思います。

「チラシの裏にでも書いておけ」と思わずに、温かい目で見てくださるとうれしいです。

反論、意見などありましたらコメントでどんどんおっしゃってください。

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XZ

ゲームとWeb小説が何よりも好き。自分の趣味を共有、共感できたらと思いブログをはじめた。

 - 考える葦的考察